有島安子(旧姓:神尾安子) |
|
|
|
有島武郎夫人 陸軍大将で男爵の神尾光臣の次女。 1909(M42)3月に有島武郎と結婚した。 この時、武郎が32歳、安子22歳であった。 '11(M44)長男の行光(森雅之)が誕生。 '12(T1)次男の敏行が誕生した。 翌年、安子は三男誕生後 、胸を病み健康にすぐれず、'14肺結核を発病した こともあって、療養のために移住していた札幌から 一家上京した。 安子は鎌倉に転地し、 平塚海岸杏雲堂病院特別病棟で療養した。 武郎は鉄道を乗り継いで湘南に出かけ、妻を見舞って 慰めと励ましを与えていたことが、 日記・感想・書簡をはじめ諸作品に書かれている。 特に日記の中で病棟をスケッチして「悲劇の舞台」 の文字を添えている。 '16(T5)8月2日武郎に長い遺書を残して没した。 そこには夫の作家として大成する願いが綴られていた。 遺言により、子供たちは安子の床に立ち合わせなかった。 没後、武郎は安子の遺稿集『松虫』を描いた。 有島家と親戚筋であり、武郎とも親交があった 与謝野晶子は『故有島安子夫人其他』 という作品を発表している。 安子の父である神尾光臣は安子没年と同年に没した。 なお神尾家代々の墓は雑司が谷霊園1種16号2側にある。 |
有島武郎家族写真 |
有島武郎の妻・神尾安子は陸軍中将・神尾光臣の次女。 明治22年(1889年)生まれで 、有島武郎より11歳下である。 1909年に武郎と結婚して三子を設けたが、1916年に肺結核で逝去した。 27歳の若さであった。 本人も「人より若く、子供に見られる」と言っている通り、可憐な美貌の持ち主で。 時代のアイドル並みの可愛さ、美貌であつた。 この人がイケメンの有島と結婚した。 その後長男の美貌俳優・森雅之(有島行光)が生まれた。 安子(妻)と波多野秋子(武郎の心中相手)を比べると、同じ美人でもタイプが違うことが分かる。 秋子の方がグラマーでセクシーな「大人の女」タイプであった。