有島武郎と波多野明子

有島武郎遺書

…僕はこの挙を少しも悔ゐず唯十全の満足の中にある。  秋子も亦同様。…  山荘の夜は一時を過ぎた。  雨がひどく降ってゐる。  私達は長い路を歩いたので濡れそぼちながら  最後のいとなみをしてゐる。  森厳だとか悲壮だとかいへばいへる光景だが、  実際私たちは戯れつゝある二人の小児に等しい。  愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかった。  恐らく私達の死骸は腐乱して発見されるだらう。

波多野明子遺書 

春房さま  とうとうかなしいおわかれをする時がまゐり ました。 ○○おはなし申上げた通りで、 秋子の心はよくわかって下さることとぞんじ ます。 私もあなたの お心がよくわかって をります。十二年の○ 愛しぬいてくだすつた ことをうれしくもつたいなくぞんじます。     わがままのありつたけをした 揚句に あなたを殺すやうなことになり ました。それを思ふと堪りません。 あなたをたつた独りぼつちにしてゆく のが可哀相で可哀相で たまりません